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  今学期、私はようやくUSCに戻ったと嬉しいですが、最後の学期ですから、ちょっと寂しいです。もう終わって信じられません。授業を3つしか取らなかったにもかかわらず、実は今学期は思ったより忙しかったです。毎日の宿題から大事な作文と発表に至るまで、学生の生活の厳しさを少し忘れたようです。多読の授業も取ろうとしたが、スケジュールに合わせられませんでした。 でも、授業で日本語の勉強を続けるのは絶対したかったんです。能力が発達するため、先生やクラスメートと毎日のように話したり、協力したりする必要があると思います。授業なしで勉強したら、コメントやフィードバックをしていただける場合はないので、弱点がなかなか理解できません。今学期は先生とモリシーさんのおかげで、上級3はとてもいい学習環境でした。小さい授業なんですけど、意外と楽しかったです。 日本語の授業以外、バイアロック先生の日本神話に関する授業で古事記や昔話などを読んだ上に、多和田葉子や太宰治や宮沢賢治といった有名な著者の本も読んだり、ホラーなどの映画を見たりしました。リー先生の中国美術歴史の授業でも、唐朝を中心したから、日本の輸入の文化を学んでしまいました。これらの授業を通して、日本の歴史について大変勉強になりました。 そして、もうUSCを卒業した友達のブイさんとコルネホさんとデービスさんに再び会えました。今学期の一番楽しい部分の一つでした。 卒業をしてから、ロサンゼルスに住み続くかセントルイスに再び引っ越すかはまだ決めていないんですが、でも、どこに住んでも、日本に行くためにお金を貯める就職、またはバイトするつもりです。将来の予定は言うまでのなく、日本にある6ヶ月以上のプログラムを探して申し込んで、日本で日本語の勉強を続けたいんです。もちろん、お金を貯める間に、自分で勉強も続けます。私が授業で言ったように、JLPTN2をゴールにするので、文法や読み書きなどの練習を第一に中心しますが、話す練習も大切だと思いますから、前の会話パートナーと連絡してみたいと思っています。 じゃ、あと一週ですが、楽しい学期をありがとうございました。  

クロスステッチ

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クロスステッチという工芸品を聞いたことがない人はほとんどいないだろう。なぜかというと、クロスステッチは世界中の最も古い刺繍方法の一つだとされているからだ。織機なしでも出来るし、美しくてカラフルなデザインや模様も簡単に縫えるという理由で、古代から現在にかけて人気がある。クロスステッチのことを知っている人、あるいは、自分でクロスステッチをしてみた人が結構多いはずにもかかわらず、あまり知らない人もいるかもしれないので、クロスステッチという工芸品を紹介していきたいと思う。  知らないなら、私はクロスステッチのやり方を短く説明してあげる。理解しやすいはずだけど、簡単に言うと、まず単純な布を初め、様々な色をしている糸を使って、布に縫う。どんな色を使うか、どこで始まるかは特別なデザインを教える表に伝えられている。そして、その表によって正しい色を選んで、布に縫う。糸が布に「X」という形で縫われるので、クロスステッチと呼ばれるようになったんだ。簡単に縫われると前に述べても、小心者から上級者に至るまで難易度に合わせてデザインを選択出来るのだ。  記事で読んだところによると、刺繍の発祥地はおそらく東ヨーロッパと中東とアジアの周りで、たいてい服装を飾るために、発展されたそうだ。それから、貿易を通じて、16世紀までにイギリスに普及したそうだ。アメリカの歴史で言うと、17世紀の前半にイギリスから来た植民地がクロスステッチの縫い方を持ってきた。アメリカという国の初めての植民地が着いた時から現在にかけてクロスステッチが縫い続けられてきたので、おそらくアメリカの伝統工芸品だと言えるだろうか。アメリカでは、服装を飾るばかりでなく、壁に飾る美術品としてのデザインも作った。サンプラーといって、目的は刺繍の縫い方を教えることだ。多様な種類があるが、一般的なサンプラーはアルファベットや数字とから家や人までも含んでいる。今でも、デザインがサンプラーの影響を受けている。  最近まで、クロススエッチはおばあさん風の印象を与えたが、二、三年前からは興味になった若者の数がどんどん増えてきて、クロスステッチに対する態度が変わってきて始めた。若者が興味を持つ第一の理由はコロナ禍かもしれない。仕事ができなかった人は趣味を得るために手作りものに向かって、クロスステッチを見つけた。それから、人気がある人物や表現といったポップカル...

紙のスノーフレークの作り方

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  皆さんはおそらく若い頃に紙のスノーフレークを作ったことがあるでしょう。11月なんですから、季節が変わっていて、すぐに冬になります。クリスマスも近づいているので、ものの作り方を考えると、小学校で作った紙のスノーフレークが思い浮かびました。多くのデザインができたり、クリスマスツリーに飾ったりします。そこで、皆さんに紙のスノーフレークの作り方を紹介していきたいと思います。 まず、用意する物ですが、全部で三つあります。なかなか簡単です。 1印刷用の紙  (8.5x11) 2はさみ 3えんぴつ (なしでもいい) では、作ってみましょう。 まず、はじめに、矩形の紙を四角にしなければなりません。そうするために、一つの角を反対側に折って三角にして、ハサミで余分な紙を切り取ります。次に、その折った三角を半分に折ります。折り紙の鶴と同じような始まりですね。                           これからはちょっと難しいけど、イラストを見て気をつけたら大丈夫なはずです。紙を左側から3分の1で折って、それから、反対側も同じようにすると、イラストの形になるべきです。部分が平等に気をつけて下さい。次に、狭い三角にするように、ハサミで余分な垂れている紙を切り取ります。                                                                 そうすると、えんぴつでスノーフレークのデザインを描きます。例は写真で見せます。ルールはあまりないけど、切りやすいように描いた方がいいと思います。そして、描いた線に沿って切ります。             ...
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 和傘という伝統工芸品は単純さのおかげでとてもきれいだと思います。その上、和傘が世界中で日本の特徴としてみと考えられているので、大切な工芸品だと思います。 和傘は日本の伝統的なもののほとんどのように、元に中国から伝わってきて、平安時代から室町時代にかけて日本的に変化したとされています。そして、江戸時代までに自由に和傘を開けたり閉じたりすることができて作り方が完成しました。和傘は和紙と木、あるいは竹からできていて、色々な種類があります。雨の日に使いたいなら、傘に油が塗ってあって、雨にぬれても、なかなか破れない「番傘]という和傘の種類が買えます。 でも、番傘より丈夫じゃなくてきれいさを中心した和傘の種類もあります。こんな和傘は日傘、または舞傘と呼ばれ、日差しを防ぐために作られているばかりでなく、美術やファッションとして使われている傘もあります。例えば、日本の美しい景色が和傘に描かれたり、オシャレなデザインが載ったりする和傘は飾りものとして人気があります。灯までも使うことが出来る。 このように、雨が降る時でも、部屋を飾る時でも、和傘が様々な場面で役に立ちます。ネットを調べてみると和傘風の傘が安く買える一方、本物の手で作った和傘が欲しいなら、結構高そうです。実は私は和傘を見るのが好きですが、自分で持っているのはあまり関心しません。
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  ハンバーガーはアメリカ料理の特徴で有名ですが、日本でいうと、ハンバーガーが日本に輸入されてから、どのように日本的に変化しましたか? ハンバーガーの正確な発祥地は不明ですが、記事で読んだところによると、19世紀の後期に色々な伝統的なドイツ料理がアメリカで混ぜていて現代のハンバーガーに変化しました。 第一次大戦から第二次大戦にかけてハンバーガーがアメリカの各地に普及しても、戦後までハンバーガーの魅力が世界中に届きませんでした。そして、戦後には日本がヨーロッパと並んで、アメリカに影響を与えられて、ハンバーガーのことを紹介されました。 バーガーを輸入した大切な人物の一つは櫻田厚(さくらだあつし)という60年代いにアメリカに住んでいた日本人で、日本に戻ってから、「モスバーガー」というレストランチェーンを作りました。それから、櫻田さんはハンバーガーに日本文化に加えて、バーガーを日本的に変化させました。例えば、ライスバーガー、つまり、パンの代わりにご飯を使ったバーガーはモスバーガーの特徴の一つです。ライスバーガー以外、エビカツバーガーやテリヤキベーがーといった日本らしい食べ物もあるそうです。今、モスバーガーは販売によると、日本のファストフードチェーンの二位となっています。 一位は、言うまでもなく、マクドナルドですが、アメリカと同じメニュだというわけではありません。マクドナルドは1971年に日本に確立されて、モスバーガーのようにテリヤキバーガーやエビカツバーガーがある上に、日本文化に関係があるキャンペーンも行っています。例えば、満月の時、お客さんは「月見バーガー」が。 実は、私は決してマクドナルドなどで食べませんが、アメリカと比べると、日本のバーガーの方がおいしそうだと思います。日本に行ったら、絶対モスバーガーで一度食べてみたいです。

ザワークラウトの歴史

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    私はザワークラウトという伝統的な食べ物について発表していきたいと思います。なぜかと言うと、私の祖先は昔、ドイツからアメリカのミズリー州やイリノイ州の田舎に引っ越してザワークラウトの作り方も持ってきたからです。今でも、両親が独自でキャベツを育て、毎秋のようにザワークラウトを作ります。私の家族にとって、これは一番大切な伝統的な食べ物なので、ザワークラウトの歴史を調べたくなってきました。  ザワークラウトはドイツ料理の特注の一つとして知られていることは事実ですが、ドイツ語の名前がついているにもかかわらず、ドイツで生まれたわけではありません。記事で読んだところによると、キャベツはどこで初めて栽培したかは誰も知らないほど、古代的な野菜だそうですが、実は、面白いことに、発酵したキャベツの発祥地は言うまでもなく、中国だそうです。まるで日本の伝統的な習慣のようです。ところが、古代中国から14世紀にかけて、ヨーロッパとの交流が少なかったですが、明王朝までに、中国を通して、東ヨーロッパにキャベツの発酵のし方が導入されました。それから、ヨーロッパの各国に広がり、地理や天候によって少しずつ変化し、現代のザワークラウトの形になりました。  その時、ザワークラウトのいい点は少なくありませんでした。その冷蔵庫がない時代で、発酵したものは長い間悪くならないと言う理由で、必要でした。寒くて新鮮な野菜がない冬に、栄養価が高いザワークラウトが食べられました。それから、健康にいい食べ物として、長い旅で船に乗る時に病気を防ぎました。その上、ザワークラウトはキャベツはどこでも育ちやすいし、キャベツと塩だけで作ることが出来ろので、伝統的な食べ物になりました 。  でも、ザワークラウトはアジアから全ヨーロッパに至るまで広がったなら、どうしてドイツの特徴で有名になったのでしょうか。私はその質問に簡単に答えないんですが、可能な理由の一つを挙げてみます。多くの国がキャベツの発酵の作り方を知っていた一方、アメリカに普及させたのはドイツの方だったかもしれません。したがって、アメリカ人は「ザワークラウト」というドイツ語の名をつけて、ドイツのものとして考えられました。そして、ザワークラウトの普及と共に、それがドイツで生まれたという印象も普及した。  現代、近代化のせいで、ザワークラウトの消費量が減って...

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

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現在、バッハが作曲した曲を知らない人はいないはずです。バッハの音楽は300年前に書いたにもかかわらず、今もよく演奏されたり、映画に使われたり、結婚式で聞こえたりして、様々な場合で楽しまれています。バッハは言うまでもなく、音楽界の一番大切な作曲家の一つとして認められていて、きれいなメロディーや奥が深いハーモニーで有名です。  ヨハン・ゼバスティアン・バッハは1685年にドイツで生まれました。家族はみんな演奏家や作曲家なので、バッハは若い頃から、音楽を勉強しました。18歳の頃まで、すでにドイツの教会に勤めていました。それから、仕事として、作曲して、曲をいくつも創作することが出来ました。バッハは天才で音楽の限界を超えました。まるで天からの能力のようです。 その時、バッハの能力は認められましたが、悲しいことに、バッハが1750年に死んだ後で、彼の曲がほとんど演奏されませんでした。時間が経つと、バッハの音楽はだんだん忘れられていきました。ところが、1830年代に、フェリックス・メンデルスゾーンという作曲家がバッハが書いた作曲の原稿を見つけて、ついにバッハのことをドイツに再び導入しました。それから、バッハの魅力がヨーロッパを始めに、世界中に普及しました。 私は初めて大学に入った時、専攻は作曲でした。バッハの音楽を聴けば聴くほど、魅力が上がりました。実は、ベートーベンやワーグナーなどのロマンチック作曲家のせいで、作曲家が苦しみや悲しみといった個人的な感情を音楽に含めるとよく思われていますが、バッハは個人的な感情を表さないで音楽を創作しました。バッハの曲を通して、音楽の清純な美しさが聞こえるという理由で、私はバッハが一番大好きなクラシック作曲家です。